シナリオも小説もほとんど読みました。何度も読んでいる作品もあります。忘れていたり、新しい発見があったり、いつ読んでもう新鮮なのが不思議です。大人の女というのは、こういうものなのか、と憧れることしばし。実際の自分は、とうていかけ離れた大阪のおばちゃんにすぎませんが。
私が、向田邦子作品の始めてであったのは、以前このブログにも書きましたが、向田邦子さんが亡くなられてからのことでした。『 徹子の部屋 』で、向田さんがお話しされているところを映像で見たことがあるくらいです。このカッコよさはどこからくるのかな? と思いながら見ていました。この人が、「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」を書いた人なんだ〜と、思いながら見ていました。
お料理が上手だったこと、美味しいものには目がなかったことなどが、エッセイや向田邦子特集の企画本などからわかりました。「う」の引き出しには、そのパッケージやラベルなどが残されておりました。グルメ向田さんは、おいしいものを探し出す名人だったとか。お味の太鼓判を押したものは、親しい方に贈ることも大好きだったそうです。贈り物の名人でもあったわけです。と同時にいただきものを上手にいただく方であったとも書かれています。
向田さんが選んだグルメで美味しそうだな、と思ったのは、青山・菊谷の水ようかん。当時は5月から9月始めと書かれていました。京都、瓢亭の梅甘煮もなんだか、とっても高級でおいしそうでした。
そして、向田邦子さんの妹さんに、たくしたお店『 ままや 』。
そこでの定番お薦めメニューとして愛されたのが、レシピも紹介されたものでした。さつまいものレモン煮。
トマトの青じそ和風サラダ。焼きおにぎり、人参のピリ煮。鮎の風干しについてるミョウガがとても美味しそうだったことを覚えています。「これ、食べたい。そうだ、食べに行こう」 ってことで、友達と憧れの「ままや」に大阪から出かけていきました。
妹の和子さんが、レジでお勘定をしてくらはりました。その時に、大阪から来たこと、向田邦子さんのファンであることを告げました。優しくほほ笑んでくれた顔は今も覚えています。きっとこんな人、山のようにいたことでしょう。帰り際に、「ままや」のマッチをいただきました。たくさん欲しかったのですが、お友達のお土産にしたいから、と自分の分とひとつの2つをいただいちゃいました。今も大切に持っています。
これからも、大切にしたい宝物のひとつです。


その後、『ままや』は閉じられましたが、今もきっといろんな人の思い出のお店になっていることと思います。そんなお店を開いてくれてありがとうございます。

『 向田邦子ふたたび 』に向田さんのエッセイや愛した食器などが掲載されています。追悼文の吉行淳之介さんの「向田邦子にごちそうになった経緯」や山口瞳さんの「向田邦子は戦友だった」は、読んでいていジーンときてしまいます。
★ Amazonで購入 向田邦子ふたたび (文春文庫)
★ 楽天ブックスで購入 向田邦子ふたたび 新装版
■ 関連記事 向田邦子さんの「う」の引き出し

人気ブログランキングへ
★ ブログランキングに参加中です。
ポチッとよろしくお願いします。
「禍福は糾える縄の如し」
直木賞を受賞し幸運の絶頂からの・・・・・・。
飛行機嫌いの向田さんが誘いを断ってたらと思います。